弁護士の事件簿・コラム

福島第一原発被害者訴訟―高裁判決の動向

弁護士 栗山 博史

1 はじめに
 2011年3月11日の福島第一原発の事故からまもなく10年になろうとしています。
 原発から漏出した放射線の被害を免れるために、政府や地方自治体の避難指示に基づいて、あるいは、ご自身の判断で、福島県内から他の都道府県に避難し、今なお避難生活を継続している方もたくさんいらっしゃいます(2021年1月現在、県外への避難者は全国で約2万9000人、神奈川県内には約1800人)。
 福島からの避難者が原告となって国や東京電力に対して損害賠償を求めている集団訴訟は全国各地で提起されました。神奈川でも、2013年9月に横浜地裁に提訴し、約5年にわたる審理を経て、2019年2月、国と東京電力の責任を認める判決が言い渡されました(現在、東京高裁で控訴審を闘っています)。
 私もこの弁護団の一員ですので、当事務所のコラムでもこれまで3回にわたりご紹介しましたが、昨年9月以降、国の責任を問う裁判で高裁判決が出始めましたので、改めてご紹介させていただきます。

2 津波対策を怠った国の責任を問う
 福島第一原発事故の主たる原因は津波です。原子炉は主として海水を循環させて冷却する必要があり、そのために電力が必要です。したがって、地震によって鉄塔が倒れ外部電源が失われても、非常用電源設備を何としても駆動させなければなりません。
 しかし、3月11日は、原発が設置されている敷地の高さを最大5~6メートルも上回る高い津波が到来し、非常用電源設備が浸水してしまったため、原子炉を冷却することができなくなり事故に至りました。

 原発事故を起こしたことについて、電力事業者は無過失責任として法律上当然に損害賠償責任を負うことになっており、東京電力が事故の責任を免れることはできません。
 では、自ら事故を起こしたわけではない国にも責任があるのでしょうか。

 国(具体的には、経済産業大臣であり、実務を担っていたのは原子力安全・保安院ですが、以下においては簡単に「国」といいます。)は、原発の設置を許可するだけでなく、原発がひとたび稼働した後は、原発の安全性を確保する責任があります。
 電気事業法では、事業者が事業用電気工作物(原発を含む。)を、国が定める「技術基準」に適合するように維持しなければならないとされています。そして、この技術基準は、人体に危害を及ぼさないようにするため、細かく定められていて、たとえば、原発が津波により損傷を受けるおそれがある場合には防護施設の設置など適切な措置を講じなければならない、とされているのです。

 電気事業法は、国に対し、原発がこの技術基準に適合していないと判断するときは、電力事業者に対して、技術基準に適合するよう原発の修理、改造等を命令することができるという権限を与えていますので、国は、もし、原発が、将来起こり得る津波に対して安全でないと判断した場合には、技術基準適合命令を発して、電力事業者に津波対策を行わせなければなりません。
 各地の原発被害者訴訟の原告・弁護団は、国が、電気事業法に基づいて、自らその規制権限を適切に行使すべきなのに行使しなかった、という国の不作為を違法であるとして、国家賠償責任を追及してきました。

3 国の責任についての判断が仙台高裁と東京高裁で分かれる
 国が津波対策を怠ったことが違法であるというためには、電力事業者に対して津波対策を行わせる義務があるといえなければなりません。
 そして、その義務があるといえるためには、国が大津波を予見できたといえることが必要です。
 これらの点について、昨年9月の仙台高裁(一審は福島地裁)と今年1月の東京高裁(一審は前橋地裁)の判断が分かれました(一審ではいずれも国敗訴)。同じ事象の評価が裁判所によって180度異なるものになったのです。

 2002年7月に政府の地震調査研究推進本部(以下「地震本部」といいます。)が「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」といいます。)を発表しました。1995年の阪神・淡路大震災の大被害を契機として、全国にわたる総合的な地震防災対策を推進するために地震防災対策特別措置法が制定されました。地震本部は、この法律に基づいて文科省のもとに設置された特別の機関です。
 地震に関する調査研究の成果が国民や防災を担当する機関に十分に伝達され活用される体制になっていなかったという反省のもとに、行政施策に直結すべき地震に関する調査研究を政府として一元的に推進するためでした。

 この地震本部が、2002年の「長期評価」で何を指摘していたのでしょうか。

日本列島の約200km東側には、太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込む場所に「日本海溝」が形成されています。「長期評価」は、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」という南北800kmほどの巨大な領域を設定して、1611年慶長三陸地震、1677年延宝房総沖地震、1896年明治三陸地震(いずれも大津波を引き起こしています)と同様の地震が、今後領域内のどこでも発生する可能性があるとし、その確率を、30年以内に20%程度、50年以内に30%程度と推定していました。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」の領域全体のどこでも発生する可能性があるというのですから、福島県沖も含まれます。福島県の日本海溝寄りの領域では、残っている記録からは、過去に大津波をもたらす地震が現実には発生していませんでしたが、その福島県沖も含めて、地震本部は、大津波をもたらす地震が発生する可能性があると指摘したのでした。

 仙台高裁判決(2020年9月)は、この「長期評価」について、2002年当時の最新の科学的知見に基づいて、さまざまな反対意見を踏まえて議論して出されたものであって十分に信頼性があると述べ、この「長期評価」を踏まえれば大津波が予見できる、したがって津波対策を講じる義務があると判断しました。しかし、東京高裁判決(2021年1月)の結論は異なりました。日本海溝寄りのどこでも大津波をもたらす地震が発生する可能性があるとする「長期評価」の見解に対しては,日本海溝寄りの北部と南部で同様に地震が起こるとはいえないという有力な反対説があったなどとして、「長期評価」の信頼性と大津波の予見可能性を否定し、津波対策を講じる義務がない、と判断したのです。

 私たち弁護団は裁判で繰り返し主張しているのですが、天気予報や台風などは、通信衛星も発達し、今や科学の力をもってかなり正確に予測できるようになっています。
 これに対し、地震は(したがってそれに伴う津波も)、まだまだ未解明なことがあまりにも多く、地震がどの地域でいつ起こるといったことをドンピシャリと予知できることなど到底できません。首都圏でも直下型地震がいつか起こると言われながら、それが10年後に起こるのか100年後に起こるのか、あるいはもっと早いのか、誰も確定的な予測ができないのです。地震学の分野は本当に百家争鳴です。しかし、そのような不確かさの中で原発を稼働させています。反対説があれば津波対策が必要ないなどと言っていては、いつまで経っても対策は先送りになり、万が一の事態に備えることはできないでしょう。原発を稼働させることの賛否についてはいろいろな意見がありますが、それはさておき、もし原発の稼働を認めるのであれば、万が一にも事故を起こすようなことがあってはなりませんので、合理的と思われる知見が出されれば、予防的に対策を講じる義務があるのではないでしょうか。

 国の責任を認めることの重要な意義の1つは、原発規制に携わる人が依るべき行動基準を示すことです。国の責任が認められるということは、原発事故が人災であり、注意していれば防ぎ得た事故だということになります。国の責任が認められないということは、天災だから仕方なかったね、ということになるのです。この違いは、今後原発に関わる人たちの心持ちに大きな影響を与えるでしょう。
 東京高裁の判断は、科学的解明ができておらず人間の力によるコントロールが及ばない、いわば神の領域の自然現象に対して、あまりにも不遜であり、もしこのような判断が定着するようなことがあれば、将来、国内で第二のフクシマが起こることは必定ではないかと思わざるを得ません。

4 おわりに
 一審判決が千葉地裁で出されていた訴訟について、2月19日、同じ東京高裁で判決が出されます。別の部の裁判官ですが、2度目の東京高裁判決がどのような内容のものになるのか、とても注目しています。

 私が関わっている神奈川弁護団の訴訟は、2019年12月から東京高裁での審理が始まり、控訴審2年目に入りました。まだ判決が出るのは先になる見込みですが、先行している判決がいかなる結果であろうと、気を緩めることなく邁進してまいりたいと思います。

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