弁護士の事件簿・コラム

婚姻費用支払義務と婚姻破綻の有責性の関係について

弁護士 野呂 芳子

1 はじめに
 先月のコラムは、栗山弁護士が、「養育費・婚姻費用の新算定方式について」というテーマで記載しました。
 今月は、これに関連し、「婚姻費用支払義務と婚姻破綻の有責性の関係について」というテーマを取り上げたいと思います。

2 婚姻費用の支払義務について
 「婚姻費用」と聞くと、何となく、結婚(式)に要した費用をイメージしませんでしょうか。
 しかし実際にはそうではなく、栗山弁護士が説明したように、「夫婦の間で分担する家族の生活費」のことで、この支払義務は、たとえ別居していても、離婚が成立するまで続きます。
 私たちの業務の中で取り扱うことが割合多いケースは、夫が同意していない状態で、妻が離婚を希望して別居に踏み切ってしまった、その上で、夫に対し、婚姻費用の請求、すなわち「離婚するまでは生活費を支払ってください。」という請求を行うというケースです。
 この場合、夫の側としては、「勝手に出ていった上にお金まで請求するとは何事か!支払いたくない。」という気持ちになる方も多く、そうした言い分を聞くことも少なくないのですが、その言い分は、裁判所では、原則として認めてもらえません。
 婚姻費用の問題は、別居や婚姻関係の破綻についてどちらに責任があるのか(「有責性」といいます。)という問題とは切り離して、夫婦双方の収入や生活の実態によって決めることが原則なのです。

3 婚姻費用の金額の決め方
 実際にどちらからどちらにいくら支払うかについては、夫婦で話し合って決められれば一番よいのですが、それが難しい場合は、支払を求める側(「権利者」といいます。)が、家庭裁判所に、「婚姻費用分担調停」という調停を起こし、支払を求める相手(「義務者」といいます。)と、裁判所で話し合うことになります。
 その話し合いの結果、合意に達すれば「調停成立」となりますが、裁判所で話し合っても合意できない場合は、「調停不成立」となり、自動的に「審判」という手続に移行し、裁判所が決定することになります。なお「調停」でも「審判」でも、「標準算定表」を基にする点は同じです。
 婚姻費用が決まった場合、いつまで遡って支払ってもらえるのか?という点も関心の高いところだと思いますが、原則として、「調停申立の日」までであり、別居日までは遡らない運用が、実務上は大多数であるといってよいでしょう。
 ですから、別居後に、相手(義務者)から婚姻費用の支払が得られないことがはっきりした場合は、権利者はできるだけ早く調停を申し立てた方がよいといえます。

4 婚姻費用支払義務と権利者の有責性の関係
(1)婚姻費用分担請求が却下されたり制限されたりするケースもある
 但し、どんなケースでも、義務者は、離婚に至るまで、算定表を基にした婚姻費用を支払い続けなければいけない、というわけではありません。
 あくまで例外的ではありますが、これまでのいくつかの裁判例で、「婚姻関係破綻に関する権利者の有責性が明白な場合」には、権利者からの婚姻費用の請求が却下されたり、制限されたりしています。
 権利者が、婚姻関係破綻の主な原因を作った場合、自分が夫婦の協力義務に違反しながら、相手にその履行を求める(=「夫婦である以上生活費を払ってくれ」と主張する。)ことは信義に反するし、権利の濫用であると考えられるからです。

(2)裁判例
 例えば、東京家庭裁判所平成20年7月31日付審判は、「婚姻費用分担請求において、別居の主な原因が申立人(妻)の不貞行為にある場合には、婚姻費用として、自身の生活費に当たる部分を相手方(夫)に対して請求することは権利の濫用として許されず、同居の未成年子の監護費用に当たる部分を請求しうるにとどまるものと解するのが相当である。」と判断しています。
 通常でしたら、婚姻費用は、妻子双方の分について認められるのですが、不貞行為をした妻の分は認めず、子供の分だけ、という制限がされたのです。
 このように、「婚姻関係破綻について有責性が明白な権利者には婚姻費用請求権を認めない。」という考え方から、夫婦間に子供がいないケースでは、有責権利者からの婚姻費用請求は却下されることになります。

(3)請求却下や制限が「有責性が明白な場合」に限定されるのはなぜか?
 上記のように、権利者の請求が排斥されるのは、「有責性が明白な場合」に限定されています。
 その理由ですが、婚姻費用は日々の生活に関わる問題であり、迅速な審理が要請されます。ところが、夫婦が別居や破綻に至るまでの経過には、多くの場合、それぞれに言い分があり、どちらにどれだけどのように責任があるのか、というのは、迅速に判断できる問題ではありません。
 そこで、「破綻の原因」「有責性」は、離婚訴訟等で時間をかけてじっくりと審理することとして、迅速を旨とする婚姻費用の審理ではその点には深入りしないのが適切であると考えられているからです。

(4)「有責性が明白な場合」とは?
 「婚姻関係破綻について権利者の有責性が明白な場合」というのは、客観的な証拠がある場合を指します。
 典型的には、権利者の不貞が破綻の原因であり、それについて探偵報告書等の証拠がある場合です。
 これまでの裁判例で、婚姻費用の請求が却下されたり、子供の分のみに制限されたりしたのは、私が調べた範囲では、この不貞案件に限られていました。
 婚姻費用の事件を取り扱っていますと、義務者側から「これは権利者の有責性が明白なケースだから婚姻費用請求は却下されるべき」という主張がされることが時折あります。ただ、例えば、性格の不一致などは「権利者の有責性について客観的に動かぬ証拠がある。」とは言い難いことが多いですし、相手の不貞を確信していても証拠がない場合などは、請求却下が認められるのは厳しいのが実情だと思います。

5 最近の事例紹介
 つい先頃、私の依頼者が、別居中の配偶者から婚姻費用の請求を受けていた件で、裁判所の判断が出ましたので、ご紹介します。

(1)事案の概要
 お子さんのいないご夫婦で、妻の収入が、若干、夫の収入を上回っていたところ、別居後、夫から婚姻費用を請求されたという事案です。なお、夫は、別居後まもなく女性と同居を始めており、その状態で、妻に対し婚姻費用請求を行いました。
 私の依頼者は妻であり、こちら側は、「夫(権利者)の不貞が婚姻関係破綻の原因であり、権利者の有責性が明白なケースである。」と主張して支払を拒否したのに対し、夫(権利者)は、「女性との交際、同居は、別居して婚姻関係が破綻した後のことであり、不貞が別居の原因ではない。」と主張し、あくまで支払を求めたため、調停不成立になり、審判に移行しました。

(2)ポイント
 この件は、妻は、同居中から夫の不貞を疑ってはいたものの、同居中についてはいわゆる「状況証拠」しかなく、探偵報告書などの客観証拠を取得したのは別居後でした。
 このような事情の中で、裁判所が、婚姻破綻についての夫の有責性や婚姻費用の請求との関係について、どのような判断をするか注目していました。

(3)第一審の判断
 一審の家庭裁判所は、諸般の事情を総合的に考慮したうえで、こちらの主張どおり、「別居に至った原因は主として夫の不貞行為にある。」と認定し、「婚姻費用の分担の請求は、信義則に反し、権利の濫用に当たるものであり、許されるものではない。」として、夫の請求を却下しました。

(4)高等裁判所の判断
 これに対し、夫は、一審の判断を不服として高等裁判所に抗告しましたが、高等裁判所も、一審の判断を支持し、夫の請求を却下しました。
 前記のとおり、一審は、「別居に至った原因は主として夫の不貞行為にある。」と認定したのですが、高等裁判所は、更に踏み込み、「そもそも別居したことにより直ちに婚姻関係が破綻したものと認めることはできない。」という判断も示しました。つまり、「別居イコール婚姻関係の破綻ではない」と、両者を分けて考えたのです。このことは、注目すべきだと思います。
 インターネット上などでは、「別居すれば異性と交際しても問題はない。」というような情報も出ているかと思います。しかし、上記のような高等裁判所の考え方からすれば、それは不正確であり、「別居時にはまだ婚姻関係は破綻していなかったが、別居後に、相手が不貞行為に及んだことが原因となって破綻した。」という場合もありうるわけで、そのような場合、「婚姻破綻の主たる原因は相手の不貞にある」といえることになります。
 但し、この「別居と婚姻破綻の関係」は、実際にはケースバイケースで あり、個々の事案毎にきめ細かい判断が必要だと思いますが、少なくとも、両者がイコールではないということは、婚姻費用の問題だけではなく、離婚そのものや慰謝料の問題にも影響がありますので、念頭に置いておく必要があるかと思います。

6 最後に
 婚姻費用は、原則として算定表を基に決まるとは言うものの、家族の生活というのは千差万別のため、往々にして、個々の事案毎に様々な問題が発生します。
 今回取り上げた、「権利者の有責性との関係」以外にも、住宅ローンの支払をどのように考慮するか、再婚や失業などで生活が変わった場合どうなるのかなど、頭を悩ます難しい争点も多いので、婚姻費用の問題でお悩みのことがあれば、弁護士に相談されることをお勧めします。

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