弁護士の事件簿・コラム
改正認定基準によれば過労死(原処分庁自らが見直し認定)
弁護士 栗山 博史
影山秀人弁護士と私が担当していた医師の過労死労災申請事件で、相模原労働基準監督署長が、2003年3月20日付で、当初の労災保険給付不支給決定を見直し、支給決定をしました。処分を行った労働基準監督署自身が、2001年12月に改正された通達(認定基準)を踏まえて当初の結論を覆したという点で意義のあるものでした(なお、私が影山弁護士の助っ人としてこの事件に関わったのは再審査請求からでした。
★ 事案の概略は次のとおりです。医師のT氏は整形外科医で、1998年7月の平日、朝食後午前7時ころ自宅で倒れました。被災当時40歳。直接の死因は急性虚血性心不全(不整脈)。T氏は、1997年9月に勤務先病院に転勤。1998年4月医長昇格とともに、診療業務のほか、病院の管理運営にも加わり、多忙きわまりました。死亡日4日前には約12時間連続の手術施行。3日前も平常勤務で残業。2日前もハイリスク患者の手術を約8時間施行。宿直を経て死亡日前日も通常業務で残業がありました。帰宅後就寝したのは午前2時、倒れたのはその約5時間後でした。
★ 1999年4月7日に労災申請をし、同僚医師のT氏の業務内容に関する報告書や、「(T氏の業務内容による)精神的・肉体的ストレスは……(死因である)致死性不整脈の大きな引き金になった可能性が高い」と結論づける専門家医師の意見書も提出しましたが、労基署長は、2000年10月10日付で不支給決定をしました。そして、審査請求事件に対する決定(2001年5月9日付)は、改正前の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(95年および96年の通達)に基づき、「発症当日及び発症日前において……異常な出来事に遭遇した事実は認められない」、発症前日も1週間も、日常業務に比較して特に過重な業務に従事したとは認められない、本件発症は、T氏に慢性的に形成された基礎的疾患(軽度の心病変)が原因となって発症したものと判断される、などとして申請請求を棄却しました。
★ しかし、労働保険審査会に対し再審査請求をして約半年後、2001年12月12日付で、前記通達(認定基準)が改正され、発症前1週間といった直前の勤務状況のみならず、長期間にわたる疲労の蓄積も発症に影響するという考えのもと、発症前6カ月をその労働時間に着目して業務起因性を評価する、という具体的な目安が示されたことで、本件での風向きは変わりました。
本件の場合は、タイムカードという労働時間を客観的に示す資料が存在しましたので、改正認定基準にしたがい、具体的に目に見える形で主張することができたからです。労働保険審査会での審理でもその点を中心に主張しました。訴訟や(再)審査請求が係属中のケースにつき、各労基署がいっせいに見直しをしているようですが、結局、本件は、労働保険審査会の結論が出る前に労災認定がなされることになりました。
ところで、労基署長は、結論を変更したことを遺族および代理人に伝える席上で、「時間外労働時間の発症前2カ月間の平均が75時間38分なので、これをおおむね80時間とみた」と説明していましたが、改正認定基準では、「おおむね45時間を超えて時間外労働が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まる」「発症前1カ月間におおむね100時間または発症前2カ月間ないし6カ月間にわたって、1カ月あたりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」とされているので、本件は、数字をそのままあてはめれば、関連性が「強い」とはいえないと結論づけることも可能です。
しかし、この点、労基署長は、その他諸事情も総合考慮しながら、「おおむね○○時間」を柔軟にあてはめたようです。同種事例の参考にしていただけると幸いです。【青年法律家387号(2003・5・25)所収】
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