弁護士の事件簿・コラム
労災に関する訴訟の一事例
弁護士 栗山 博史
1 労災と損害賠償請求
労働者が会社で「業務上の事由」により怪我をしたり,病気になってしまった場合は,労災の申請をすることができます。治療費や,会社を休んだ場合の所得補償をしてもらえるだけでなく,後遺症が発生してしまった場合には,その後遺症の等級に応じて,年金または一時金を受けとることができます。
ただ,労働者災害補償保険(労災保険)は,政府が所管している保険であり,補償を受けられるといっても,支給される金額は決して十分ではありません。治療費は全額補償されますが,休業補償の額は,その労働者の平均賃金の6割ですし,後遺症の等級に応じて支払われる障害補償給付(1級~7級は年金,8級以下は一時金)の金額も,政府が定めた基準による金額が支払われるだけです。
労災後,それまでと同じように仕事を続けて生計を維持することができれば,労災保険による支給だけでも大丈夫という場合もあるのですが,後遺症が大きいと,仕事は続けられずに給料はなくなり,支給される年金も十分ではないので,今後の人生も不安です。
私の依頼者Sさんも,そのような一人でした。Sさんは,労災の給付を受けたうえで,勤務先会社を退職した後,会社に対して,損害賠償請求の裁判を起こしました。今般,Sさんの労災に関する民事訴訟が,提訴後2年余りの期間を経て,和解により解決しましたので,事案の概要と解決までの道のりをご紹介したいと思います。
2 事案の概要
Sさんは,会社内では,フォークリフトの運転士をしていました。その会社では,フォークリフトでの作業をする倉庫が高床式であったため,フォークリフトを,スロープを使って倉庫に登らせていました。しかし,フォークリフトの中には,馬力が小さいものもあり,そのフォークリフトは,自力でスロープを登ることができません。そこで,自力で登ることができないフォークリフトについては,馬力が大きなフォークリフトが,ワイヤーのロープでけん引して登らせていました。ところが,あるとき,スロープ上でけん引しているときに,馬力の大きなフォークリフトのカウンターウェイトを呼ばれる部位(前に載せる積み荷とバランスをとるためにフォークリフトの後部にボルトで固定してあるところ。絵図の矢印部分です。)が外れてしまい,カウンターウェイトに支えられていたフォークリフトの屋根(ヘッドガード)が崩れ,Sさんの頭部を直撃したのです。
Sさんは,事故後まもなくのころから,ひどい頭痛,手足のしびれが発症し,足もとがふらつく感覚も出ていました。これは明らかな労災なので,通常であれば,病院を受診し,事故の内容を説明し,精密検査を受けるべきなのですが,Sさんの場合,会社が労災を隠す体質であったことが不幸でした。上司の指示により,自分自身の健康保険証を使って受診することになり(労災や交通事故では通常,健康保険証は使いません。),事故の内容についても,自宅で押し入れから物が落下して頭にあたった,と申告したため,初診時に行われた検査はレントゲンと頭部CTのみで,これら画像所見からは,事故直後にSさんの身体の異常は発見されませんでした。
しかし,Sさんの頭痛,手足のしびれ等の症状は,その後,おさまるどころか,ますます悪化してゆきます。結局,3か月余り後になって,医師に真実を告白し,直ちに頸部のMRI検査を受けることとなり,脊髄損傷が発見されたのです。
3 労災支給決定後の裁判
Sさんは,労働基準監督署に労災の申請を行い,後遺症等級7級を認定してもらい,年金を受け取ることができるようになりましたが,フォークリフトの運転を続けることはできず,結局,会社での周囲の目も気になり,会社を退職するという途を選択しました。
先ほど述べたとおり,労災の障害補償給付の年金だけでは,Sさんの老後の生活には不安がありましたので,会社に対して,損害賠償請求の訴訟を起こすことにしました。
ただ,損害賠償請求というのは,労災だからといって認められるものではなく,相手方に落ち度がある場合(法的には「故意または過失がある」といいます。)に初めて認められるものです。今回の事故について,会社側に「安全配慮義務違反」の過失があることを立証できなければ,訴訟では敗訴してしまいます。
私は,信頼できる若手弁護士に声をかけ,この訴訟の代理人に加わってもらい,弁護士2名体制で訴訟に臨むことにしました。訴訟提起前に,何をもって会社の安全配慮義務違反ととらえるべきか,もろもろ検討し,調査してもらい,その結果,フォークリフトでフォークリフトをけん引することは,フォークリフトの本来の用途ではない,という結論にたどり着きました。
厚労省が定めている労働安全衛生規則では,事業者が,フォークリフトのような「車両系荷役運搬機械」を,主たる用途以外の用途に使用することは禁止されています。この明文の規定に違反しているといえれば,会社の安全配慮義務違反は明らかです。検討の結果,フォークリフトによるフォークリフトのけん引は,緊急時の例外中の例外として許容されているだけで,日常的に行ってよいものではないことがわかってきました。厚労省が認可している「中央労働災害防止協会」が,「フォークリフト運転士テキスト」という冊子を発行していましたので,足を運んで話を聞いたところ,フォークリフトのけん引は,間違いなく,フォークリフトの用途外使用だということでした。
私たちは,フォークリフトのけん引を日常的に行わせていたことをもって安全配慮義務違反であるとして訴訟を提起し,また,訴訟の中では,事故車両の取扱説明書も被告側から提出させ,会社の安全配慮義務違反の立証を固めてゆきました。
ただ,訴訟の争点はこれだけではありませんでした。Sさんが,もとはといえば会社の労災隠しが原因ですが,初診時からの医師に対する申告内容も変わり,事故直後のMRI画像等がないことなどから,事故と後遺症との間の因果関係も争われました。すなわち,会社は,Sさんの後遺症は,年齢の経過による自然的経過に伴い発症したもので,事故が原因ではないと主張し,そのことを裏付ける脳外科医の意見書まで提出してきたのです。しかし,この意見書の内容は杜撰でした。Sさんが受診した病院の医療記録をつぶさに分析したところ,脳外科医の意見書は,Sさんの症状の経過を正しくとらえていない,結論ありきのいい加減なものでした。
原告本人の尋問,被告側証人の尋問を踏まえ,和解協議が行われました。裁判におけるSさんの訴えが裁判官にも理解され,会社に安全配慮義務違反があることを前提とする,Sさんが納得できる和解が成立しました。
4 さいごに
Sさんは,フォークリフトの運転士として,約20年間にわたって真面目に勤務してきました。一生この仕事を続けて定年まで迎えるはずでした。ところが,今回の 身体の症状に耐えきれずに労災申請に踏み切ったSさんに対する会社側の対応は,長年にわたって献身的に勤務してきたSさんにとって,非情かつ冷酷なものでした。会社の責任を否定され,事故後発症した症状についても,事故とは無関係だと言われ続けたのです。Sさんは,かつての勤務先と訴訟で闘うということ自体,精神的につらかったと思います。ようやく肩の荷が降りて,安心できたとおっしゃっていました。どうか,お身体を大切に,平穏な生活を送っていただきたいと思います。
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