弁護士の事件簿・コラム
認知症JR事故損害賠償裁判を考える
弁護士 栗山 博史
1 はじめに
認知症を患った高齢者(事故当時91歳)がJRの駅構内の線路に立ち入って列車に衝突して死亡し、その結果、列車に遅れが生ずるなどして損害を被ったとして、JRが高齢者の遺族を相手に損害賠償を求めた裁判で、本年3月1日、最高裁判決が言い渡されました。
一審(名古屋地裁)は、妻と長男の責任を認め、二審(名古屋高裁)は、妻の責任のみを認めました。他方、最高裁では、妻と長男いずれの責任も認めませんでした。このように、地裁、高裁、最高裁の判断が全て異なったということもあり、マスコミでも大きく取り上げられ話題になりました。
昨年6月のコラムで、サッカーボールを校庭から公道に蹴り出してしまいバイクに乗っていた高齢者を転倒させてしまったことについて親の監督責任が問題となった事案を取り上げましたが、今回の事案は、認知症高齢者に対する家族の監督責任という新たな問題を提起するもので、いろいろと考えさせられます。地裁、高裁、最高裁のそれぞれの判決から、何が判断の分かれ目になったのか考えてみました。
2 事案の概要
少し長くなりますが、この事案の内容を簡単に整理しておきます。この事案は、認知症患者に対する監督義務違反が問題になったものですので、ある程度詳しい事実関係を知っておく必要があるかと思いますので、おつきあい下さい。
時系列は事故日から遡っておおよそ~年前ということにしておきます。お名前は仮名です。
太郎さんと花子さんは愛知県に2人で同居していました。太郎さんの自宅は自宅部分と事務所部分(かつて不動産仲介業を営んでいました)があり、出入り口は自宅玄関と事務所出入り口の双方がありました。
太郎さんは7年前から、認知症が発症し、家族もそのことを認識しました。
5年前、太郎さんの妻花子さん、長男一郎さん、長男の妻松子さん、一郎さんの妹桃子さんは、太郎さんの介護をどうするか話し合いました。家族は、妻花子さんがすでに80歳で、1人で介護することが困難になっているという認識を共有し、介護施設で働いている桃子さんの意見も踏まえて、一郎さんの妻松子さんが単身で横浜市から太郎さんの自宅付近に引っ越すことで、介護を手伝うことに決めました。
こうして、一郎さんの妻松子さんは、愛知県に引っ越し、太郎さんの自宅に毎日通って介護をするようになったのです。一郎さん自身は横浜で仕事をしながら、1ヶ月に1、2回太郎さん宅を訪問するようになりました(なお、事故直前ころには1ヶ月に3回程度)。
太郎さんの認知症は悪化してきました。5年前の時点で介護認定(要介護2)を受け、4年前にはデイサービスを利用し始めました。太郎さんがデイサービスに行かない日には、松子さんが、朝から太郎さんが就寝するまで太郎さんの自宅で介護していました。太郎さんが就寝した後は、花子さんが太郎さんの様子を見守るようにしていました。
太郎さんは、花子さんを自分の母親であると認識したり、自分の子どもの顔もわからなくなっていました。
2年前、太郎さんは、1人で外出して行方不明になったことがありました。早朝、コンビニの店長からの連絡で発見されました。
1年前、太郎さんは、深夜、1人で外出してタクシーに乗り、認知症に気付いた運転手によりコンビニで降ろされ、その店長の通報により警察に保護されて帰宅したということもありました。
2年ほど前には、太郎さんの妻花子さんは、足が悪く、つかまらなければ立ち上がったり、歩いたりすることができない状態で、要介護1の認定を受けていました。
太郎さんの複数回の徘徊の出来事があって、松子さんは、警察に予め連絡先を伝えておきました。また、太郎さんの氏名や松子さんの携帯電話番号などを記載した布を太郎さんの上着などに縫い付けました。一方、一郎さんは、自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置しました。太郎さんがその付近を通ると花子さんの枕元でチャイムが鳴ることで、花子さんの就寝中に太郎さんが自宅玄関に近づいたことを把握できるようにするためです。太郎さんが外出できないように門扉に施錠したということもありましたが、太郎さんがいらだって門扉を激しく揺するなどして危険だったため施錠を中止するということもありました。他方、事務所出入口は、夜間は施錠されていましたが、日中は解放されていました。以前から事務所出入口付近にセンサー付きチャイムが取り付けられていましたが、こちらの方は事故当日まで電源は切られたままでした。
10ヶ月前には、太郎さんは要介護4と認定されました。
家族は、太郎さんの介護について話し合い、特別養護老人ホームに入所させることも検討しましたが、桃子さんが、そういうことをすれば太郎さんの混乱はさらに悪化するし、太郎さんは家族の見守りがあれば自宅で生活する能力を十分持っている、特別養護老人ホームは入居希望者が多いから入居までに少なくとも2、3年はかかる、という意見を述べたこともあって、太郎さんを引き続き自宅で介護することに決めました。
事故当時の介護状態ですが、松子さんは午前7時ころ太郎さんの自宅に行き、太郎さんを起こして着替えと食事をさせた後、デイサービスに送り出し、太郎さんがデイサービスから戻った後20分程度太郎さんの話を聞いた後、太郎さんが居眠りを始めると、太郎さんのいる部屋から離れてキッチンで家事をすることを日課にしていました。太郎さんは居眠りをした後は、松子さんの声かけによって3日に1回くらい散歩し、その後、夕食をとって入浴をして就寝するという生活を送っており、松子さんは、太郎さんが眠ったことを確認してから帰るようにしていました。
事故当日は、太郎さんはデイサービスから帰ってきた後、事務所部分の椅子に腰掛け、花子さん、桃子さんと一緒に過ごしていました。その後、松子さんが自宅玄関先で太郎さんが排尿した段ボール箱を片付けていたため、太郎さんと花子さんが事務所部分に2人きりになっていたところ、花子さんがまどろんで目を閉じている間に太郎さんは事務所部分から1人で外出しました。太郎さんは、排尿のために駅のホーム先端のフェンス扉を開けてホーム下に下りてしまい、列車衝突事故に遭いました。
3 法的な論点
以上のような事実経過で太郎さんの列車衝突事故が発生し、JRが損害を被ったとして遺族に対し損害賠償を求めました。
「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない。」(民法713条本文)とされていますので、太郎さん本人が損害賠償責任を負うことはありません。
このように責任無能力者が責任を負わない場合に備えて、民法は、「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りではない」(民法714条1項)としています。
したがって、遺族がこの「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるのかどうか、そして、もし当たるとすれば、監督義務者がその監督義務を怠らなかったかどうか、が問題になってきます。
監督義務者に当たるとした場合、監督義務を怠らなかったということは監督義務者が証明しなければならないとされています。監督義務者自身が、自分は十分な監督をしたのだ、ということを証明できない限り責任を免れませんので、この監督義務者に当たるのかどうか、という点が重要な論点ということになります。
4 地裁・高裁の判断
1審の名古屋地裁は、長男一郎さんを監督義務者であると判断しました。一郎さんが玄関のセンサーを設置したこと、太郎さんの死亡後に遺族代表として対応したこと、太郎さんの遺産分割でも重要な財産を取得していること、家族会議でも、太郎さんの介護方針・介護体制を決定し、妻の松子さんを横浜から愛知に転居させて太郎さんの介護をさせ、頻繁に報告を受けていたこと、一郎さん自身も太郎さんを週末には訪問していたことなどからして、太郎さんの重要な財産の処分や方針の決定をする地位を引き継いでいたという理由です。
そして、一郎さんに監督義務のあることを前提としたうえで、花子さん・松子さんの見守りを中心とする介護体制では太郎さんの徘徊を防ぐことは困難であった、事故当時の太郎さんは経済的に余裕があったから、介護施設やホームヘルパーを利用できたはずだとして、一郎さんの監督義務違反の責任を認めました。
一方で、花子さんについても、一郎さんが決定した介護体制の中で、花子さん自身も介護を引き受けていたにもかかわらず、太郎さんから眼を離さずに見守ることを怠った過失があるとして、民法709条の不法行為責任を認めました。
2審の名古屋高裁は、反対に、妻花子さんを監督義務者としてその責任を認め、一郎さんの責任を否定しました。
夫婦が現に同居している場合には、夫婦の協力・扶助義務(民法752条)があるのが原則で、夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情のない限り、花子さんは太郎さんの生活について、それが自らの生活の一部であるかのように、見守りや介護等を行う身上監護の義務があるというのです。
一方、長男一郎さんについては、子どもの義務は配偶者の義務とは異なり、経済的な扶養を中心とした扶助の義務であり、現に長期間別居しており、成年後見人に選任されているわけでもないから、監督義務者であるとはいえない、としました。
地裁も高裁もそれぞれ合議体といって3人の裁判官で判断していますが、裁判官によってこうも判断が違うのか、と思うほど結論が違っています。
判決は論理的に整理されて書かれていますが、実は、その解釈のバックボーンには裁判官の価値観があります。誤解を恐れずに言えば、まず裁判官の価値観に基づいて結論的にはこういう方向だと決めて、それに見合う論理を組み立ててゆく。このあたりは、元裁判官の瀬木比呂志氏が、著書『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』などで指摘しています。
地裁判決、高裁判決を読んだときの私的な感想ですが、まず、地裁判決については、これだけ経済的に余裕があったのなら、一郎さんが、妻松子さんを単身で太郎さんの近くに引っ越させて、高齢で身体の悪い花子さんと2人だけで介護させるなどという無理な体制を何年も続けるのではなく、他にやれることがあったのではないか、こういうときは、家族で無理に抱え込むことなく、利用できる社会福祉の資源は使うべきである、というメッセージを感じました。
他方、高裁判決については、たしかに、同居の妻に対して厳格な義務を課す厳しい判決のようにも読めますが、「被害者の保護及び救済」の視点が判決の中で明確に位置づけられています。責任無能力者の行為によって生じた損害については、本人の責任が否定されているため、被害者が被害の救済を受けるためには監督義務者に対して請求するしかない、その観点から考えると、誰が責任を負っているのか、ということを明確にする必要がある。被害者に対する責任という観点からは、配偶者、同居の有無、そういう外形的な事実について監督義務者であるか否かを判断すべきだ、そういう価値観が垣間見えるのです。
5 最高裁の判断
最高裁は、妻花子さんの責任も長男一郎さんの責任も否定しました。
妻が監督義務者に該当しないという点については次のように述べました。
「精神障害者と同居する配偶者であるからといって、その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできない。」
「もっとも、法定の監督義務者に該当しない者であっても、責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし、第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には、衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり、このような者については、法定の監督義務者に準ずべき者として、同条1項が類推適用されると解すべきである。
その上で、ある者が、精神障害者に関し、このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは、その者自身の生活状況や心身の状況などとともに、精神障害者との親族関係の有無・濃淡、同居の有無その他の日常的な接触の程度、精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情、精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容、これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して、その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。」
このような一般論を述べたうえで、花子さんについては、足が悪く要介護1の認定を受けており、太郎さんの介護も松子さんの補助を受けて行っていたとして、花子さんは、太郎さんの第三者に対する加害行為を防止するために太郎さんを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず、その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情がないとして、監督義務を否定しました。
一方、太郎さんについても、20年以上も太郎さんと同居しておらず、事故直前の時期においても月に3回程度週末に太郎さん宅を訪問していた程度であるから、太郎さんの第三者に対する加害行為を防止するために太郎さんを監督することが可能な状況にあったということができず、その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情がないとして、監督義務を否定しました。
6 残された課題
平均寿命がのび、高齢化社会が益々進行する中で、認知症患者の割合も増え、家族で抱え込むことの困難や社会的支援の充実が指摘されています。
そういう中で、今回の最高裁判決は、同居の家族・夫婦だからといって、また、現に介護しているからといって、当然に法的な監督責任を負う立場にあるわけではないと述べ、かつ、今回の事案のような、家族が相当な程度に介護に関わった事案について監督義務を否定したもので、家族・親族による介護を当然とする見方に対して強い警鐘を鳴らしているものとみることはできます。
しかし、そうすると、このような場合、高裁判決が強く意識したと思われる、被害者保護・救済の問題はどうなるのか、という問題が残ります。
今回の事案は、たまたま被害者はJRという大企業であり、列車が遅延したという純粋に経済的な損害ですから、被害者保護・救済という視点は後退しますが、例えば認知症患者が徘徊し、急に道路に飛び出して、これを避けようとして自動車や自転車を運転していた人が重大な後遺症を負ったり、死亡するなどといった事案においては、被害者や遺族は保護・救済されないということになります。
そもそも、事故が発生しても、加害者側の責任が生じるかどうかも不明確ですので、被害者や遺族は裁判を起こさなければ解決できないといった負担も背負うことになります。
今回の最高裁判決は何も語っていませんが、高齢化社会の進展に伴って必然的に生じるこのような問題については、加害者側の責任を問わない損失補償を国として手当することを検討するなど、立法的解決が必要なのではないかと思った次第です。
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