弁護士の事件簿・コラム
拘置所内での死亡事故に関する損害賠償裁判
弁護士 栗山 博史
1.はじめに
本年5月、横浜拘置支所を設置・管理する国を相手に損害賠償を求める裁判を起こし、7月から審理が始まりました。
拘置(支)所というのは、主として、刑事裁判で起訴された被告人を勾留する施設で、全国各地にあります。
Aさん(女性)は、ある事件を犯したとの疑いにより警察に逮捕され、その後、起訴され、警察の留置場から横浜拘置支所に移送されたのですが、移送されてから約1ヶ月後、横浜拘置支所内の自分の留置室で心肺停止に至り、救急車で病院に搬送され、まもなく亡くなりました。Aさんは享年39歳でした。
Aさんの死亡は避けられなかった事故ではなく、拘置所の職員や医師の不注意が原因である、拘置所の職員や医師が、Aさんの生命・身体の安全を配慮する義務を尽くしていればAさんは命を失うことはなかったはずだ、として、両親が横浜拘置支所を設置・管理する国を相手に損害賠償請求訴訟を提起したのです。
2.Aさんが死亡に至るまでの経過
拘置所に収容されている人が死亡したからといって、拘置所側に責任があるとは限りません。細心の注意を払っていても避けられない事故はあるからです。
しかし、この死亡事故については、調べてゆくと、Aさんの当時の身体の状態からすれば、Aさんは明らかに危険な状態で、そして、適切な医療を施されていればAさんは救命されていたのではないか、と思えるものでした。
Aさんは、警察や拘置所内に身体拘束されているとき、精神的に不安定で、精神科医から抗精神病薬などの薬を処方されていました。
警察内の留置場にいるときは、精神科医の処方にしたがって服薬し、Aさんの状態も落ち着いて、両親もふつうに面会して会話することができていました。
ところが、横浜拘置支所に移送されてから、心身の状態がだんだん悪化してゆきました。
Aさんの様子は、両親ほか家族が頻繁に面会して把握しています。
Aさんは、横浜拘置支所に移送されてからまもなく、顔面が蒼白になり、「手が震える」「急に字が書けなくなって困る」「自分の体じゃないみたいに動かない」「髪を結わけない」と訴え始めました。Aさんの様子が悪化してゆくのを見て、医師は処方薬を変更するのですが、心身の状態はかえって悪化してゆきます。全身に思うように力が入らず、話す、顔を洗う、歯を磨くなどの日常の生活動作をまともにできる状態ではなくなってしまったのです。
Aさんは、刑事事件の弁護人との面会でも、このような症状を訴え、椅子の周りを繰り返し歩き回り、「止められない」「止めてほしい」「助けて下さい」などと訴えたということもありました。
Aさんの弁護人としても、Aさんの状態が危険であると感じ、裁判を担当する検事に連絡してAさんの危険な状態を訴えました。検事としても、拘置所側に確認しますが、拘置所側の検事に対する回答は、「Aさんの日常生活の行動に格別の問題はない」というものでした。
その後も医師による処方薬の変更は行われますが、Aさんは、目がうつろで、生気を失ってゆきます。弁護人に対し、排尿しようとしてトイレに行っても手が思うように動かなくてもらしそうになってしまう、食事もできていない、などの辛い状態を訴えました。
このままではAさんの生命が危険だと考えた弁護人は、病院での治療を受けさせる必要があると判断し、裁判所に対し、保釈などの請求を行いました。
裁判所から意見を求められた検事は、再び、拘置所側にAさんの様子を確認しますが、拘置所側の回答は、Aさんの生命の危険を感じさせるようなものではありませんでした。
こういうやりとりをしている間、Aさんの症状は、さらに悪化してゆきました。家族の面会時、Aさんの目はうつろで一点に集中し動くことがなく、口はほとんど開きませんでした。Aさんはおむつをはかされていました。
Aさんは横浜拘置支所の居室内で心肺停止になり、病院に搬送されますが、治療の甲斐なく、翌日亡くなりました。
3.国の責任を問うたたかい
Aさんの死因については、死体解剖により、抗精神病薬の副作用による悪性症候群であるとされましたが、Aさんの家族に対して、拘置所側からは一切の説明がなく、Aさんの死亡の事実が公表されることもありませんでした。
私は、調査の結果、拘置所側の対応には問題があると判断し、医療裁判を多数手がけている他の事務所の弁護士2名と弁護団を組ませていただき、両親の代理人としてAさんの死亡事故についての国の責任を追及する訴えを起こしました。
この事故は、医師による薬物治療の副作用が死因であるという、いわゆる医療過誤訴訟ではありますが、他方で、Aさんが刑事裁判の被告人として横浜拘置支所に勾留されていたがゆえに、患者本人・家族が、病院で治療させたいと思っても、そういう選択権はなく、医療措置は全て拘置所側に委ねられていた、という特殊性があります。刑事裁判の被告人だからといって命がないがしろにされてよいということは決してありません。国(拘置所)側は、被告人の医療に関する選択権を奪っているのだから、被告人の生命身体の安全を確保しなければならない重大な責任を負っているのです。
この事件は国相手の訴訟ということもあり長期間の審理が予想されますが、Aさんやご家族の無念の思いに報いるため尽力してゆきたいと思います。
- « 前の記事 少年事件における試験観察について
- » 次の記事 子ども担当弁護士の仕事