弁護士の事件簿・コラム
遺言を巡る争いについて
弁護士 野呂 芳子
1 はじめに
今回は、遺言の問題をとりあげます。
遺言という言葉自体は、皆様よく聞かれると思いますが、法的には「死後の法律関係を定めるための最終の意思表示」、すなわち、自分が亡くなった場合に自分の遺産を誰にどう受け継がせたいのか等を記載する文書のことを言います。
法律上、遺言の種類は7種類もありますが、よく利用されているのは、
①自筆証書遺言、すなわち全文、日付、氏名を自署し、押印する形の遺言と
②公正証書遺言、すなわち、証人2人以上の立ち会いの下、「公証人」という法律の専門家に作成してもらう遺言です。
以下、実務上よく見られる争点につき、質疑方式でご紹介していきたいと思います。例として、亡くなられたのが父親、相続人が子ども2人(兄、弟)で、弟さんから相談を受けたという設定で進んでみます。
2(質問)
「父が亡くなりましたが、私と兄で違う自筆証書遺言を渡されていました。私が持っている遺言には、『全てを私に渡す』、兄が持っている遺言には『全てを兄に渡す』と書かれています。どちらが優先されるのですか?」
(回答)
原則として、作成日付が新しいほうが優先されます(民法1022条、同1023条)。遺言は、作成後に何度も書き直すことも可能ですが、「人の最終意思表示」という観点からは、一番新しいものが、原則として優先されるのです。
3(質問)
「兄のもっている遺言のほうが日付は新しいです。しかし、その日付の頃は、もう父は認知症になっていて、正しい判断が出来なかったと思います。いくら日付が新しくても、そんな時期の遺言、無効ですよね?」
(回答)
これこそが今、高齢化社会の進展によって非常に増え、かつ深刻化している「高齢者の遺言時の能力を巡る問題」です。
遺言者は、遺言時に、遺言能力、すなわち「遺言事項を具体的に決定し、その法律効果を弁識するのに必要な判断能力たる意思能力」を備えていなければなりません(民法963条)。
このコラムの設定の例のように、複数遺言がある場合だけではなく、1通しか遺言が無い場合でも、それが相続人のうちの一部の人に有利になるような内容ですと、「遺言時に遺言者に遺言能力があったかどうか」で争われる事例は多いのです。
遺言能力があったかどうかは、遺言作成時の遺言者の年齢、健康状態、病状及び医師の診断、生活状況、遺言時とその前後の状況、当事者の関係等を総合的に勘案して、裁判所が判断します。
遺言時の能力について、医師の判断が求められることもありますが、これが絶対的な基準にはならず、そうした医師の判断も1つの要素として考慮しつつ、最終的には裁判所が、「遺言能力があったかどうか、すなわち有効な遺言かどうか。」を判断するのです。
1つ裁判例を紹介します。東京高裁の平成14年3月25日判決ですが、アルツハイマー型老年痴呆の状態にある高齢女性が公正証書遺言をした例で、「有効」と主張する長男と、「無効」と主張する長女、次男、三男の間で裁判となりました。
東京高裁は、女性が、遺言当時、身の回りのことは原則として自ら行い、旧知の者との日常的会話も成り立ち、公証人に対し、長男に対し自己の財産を相続させることやその理由をも明瞭に述べるような事情を考慮し、女性には遺言する能力があったと認めました。
この事案は、第一審では、女性の遺言能力が否定されており、このように、同じ事案でも、裁判官によって判断が分かれるほど「遺言能力」は難しい判断なのです。
4(質問)
「公正証書遺言なら、公証人が関与して、証人2人も立ち会って作るきちんとした遺言だから、後で遺言能力が問題にされたりすることはないのでしょうか?」
(回答)
そうとは限りません。確かに、自筆遺言証書よりは、有効性が認められやすいかもしれませんが、公正証書遺言についても、遺言作成時の遺言者の能力を否定した裁判例は多数ありますので、その点も注記すると共に、そうした裁判例も1つ紹介しておきます。
これも東京高裁の平成25年3月6日判決ですが、以前に、「全財産を妻に相続させる。」という自筆遺言証書を作成していた男性医師が、妻が存命中に、「全財産を実妹に相続させる。」という公正証書遺言を作成した事案です。男性は、作成当時、81歳でした。
第一審は、公正証書遺言を有効としましたが、東京高裁は、公正証書遺言当時は、男性は、うつ病、認知症に罹患し、遺言と近接した時期に大声独語、幻視幻聴、妄想等の問題行動が見られ、複数の薬剤を処方されており、その影響により判断能力が減弱した状態にあり、意思能力があったとは認められない等として、「遺言は有効と認められない。」と判断しました。
ちなみに、第一審は、遺言は有効と判断しており、この事案でも、第一審と第二審の判断が分かれています。
5(質問)
「よく見ると、全文も署名も父の字ではないと思います。兄が父の筆蹟をまねて偽造したのだと思います。『父の字ではない』という筆跡鑑定をしてもらって、その鑑定書を裁判所に出せば、裁判してもすぐに勝てますよね?」
(回答)
これも、そうとは限りません。以下、少し詳しく解説します。
⑴ 裁判における「筆跡鑑定」の実態
自筆証書遺言が「本当に自筆かどうか」争われる事例も数多くあります。
この場合、筆跡鑑定すれば即真実が明らかになる、と思っている方も多くいらっしゃるかと思います。私も、弁護士になる前はそう思っていました。
しかし、実は、裁判所は、筆跡鑑定の結果を、絶対的な基準とは捉えていないのです。
筆跡鑑定は、DNA鑑定のような精度をもつものではありません。
このため、自筆遺言の有効性を争う事案では、裁判所の選任する鑑定人による他、両当事者がそれぞれ独自に筆跡鑑定(=私的鑑定)を依頼し、自己に有利な鑑定を証拠として書証として提出するというように、意見の異なる筆跡鑑定書が複数提出されている事案が少なくないのです。
⑵ 手法も定説がないこと
また、鑑定手法も様々です。最近、「コンピューターによる鑑定」というのもあり、従来型の、文字を人の目や顕微鏡等で詳細に分析する手法と比較し、なんとなく信用できそうな印象を受けるかもしれませんが、この「コンピューターによる鑑定」を「最悪の手法」と痛烈に批判している鑑定人もおり、結局、「この手法なら間違いない。」というような定説は、今のところないといってよいでしょう。
⑶ 裁判例
この点、例えば、東京高裁平成12年10月26日判決も、「筆跡鑑定は科学的な検証を経ていないためにその証明力には限界があり、他の証拠に優越する証拠価値が一般的にあるのではないことに留意して、事案の総合的な分析検討をゆるがせにすることはできない」と述べ、裁判所の選任した鑑定人による鑑定を主たる根拠として遺言書を無効とした一審判決の認定を覆し、遺言書を有効と判断しました。
このように、筆跡鑑定の証拠価値を制限的に捉え、偽造かどうかは、その他の事情(遺言者を巡る人間関係、遺言者にその遺言を残す動機があったか等)も総合的に考慮して判断すべきという考え方が、司法界での主流なのです。
⑷ 「誰が選んだ鑑定人か」によって決まるわけでもないこと
前項で紹介した東京高裁の裁判例でも、裁判所の選任した鑑定人による鑑定結果を採用しませんでした。
また、京都の有名鞄店である「一澤帆布」の相続を巡る係争において、平成20年11月27日の大阪高裁判決は、現職の科捜研の技術吏員が京都地方検察庁検察官の嘱託に基づき犯罪捜査のために作成した鑑定書の信用性を否定しています。
さらに、東京高裁昭和63年4年26日判決も興味深い裁判例です。
この事案は、第一審では、裁判所が選任した鑑定人の鑑定結果を採用し、「遺言書は自筆でない。」と判断しましたが、控訴審である東京高裁は、控訴審において新に選任した鑑定人による同じ結論の新たな鑑定の他、控訴人(被告)の私的鑑定書2通を詳細に比較検討し、「私的鑑定は、筆者の筆跡特徴をよくとらえているものである。」としてこれを採用し、前記2つの、裁判所が選んだ鑑定人による鑑定を採用できないとして、「遺言書は自筆によるもの」と判断し、原判決を取り消しました。
同裁判所は、判決の中で、これら私的鑑定について「(前略)各筆跡の生まれた時と状況による書体や筆法の差違を超えてなお拭い去れない筆者の個性的な書体や筆法に注目し、彼此の類似性、相同性、希少性等を探求するものとして、その帰結と共におおむね首肯するに足りると考える。」と述べています。
このように、同高裁判決は、「裁判所が選んだ鑑定人」という肩書きではなく、鑑定の内容を公平且つ冷静に分析した事例として注目されました。
6(質問)
「遺言を有効と認めてもらうことがそう簡単ではないことがわかりました。今後、自分の子供たちのために、私の相続の時はできる限り争いがおきにくい形で遺言を作成しておきたいと思います。アドバイスをお願いします。」
(回答)
これまで述べてきたように、「こうすれば絶対遺言の有効無効が争われることはない。」という決定打はありません。しかし、できるだけということで、以下のようにアドバイスをします。
①公正証書遺言の形式で作成する。
ご紹介したとおり、公正証書遺言であれば絶対に大丈夫、ということではありません。ただ、遺言能力を巡る争いは、公正証書遺言でもありえますが、自筆証書遺言ですと、それに加え、自筆かどうかで争われることがあること、また、書き損じや書き漏れなどがありうること等から、相対的には、公正証書のほうがより安全といえます。
②できるだけ早い時期に作成する。
誰が見ても遺言能力に全く問題ない時期に作成しておかれると安心です。後で書き換えや撤回、新たな作成も可能なのですから、50代、60代になったら検討されてもよいかもしれません。
③高齢になって作成する場合
遺言書そのものにでも、また別途でも、自分がその遺言を残すに至った心情や動機等を残しておくのもよいでしょう。
また、作成前に、医師の診察を受け、「遺言能力に問題はない」旨の診断書を作成してもらうことも有意義だと思います。
7(質問)
「うっかりしている内に月日が過ぎて、自分に成年後見人がついてしまったら、もう遺言はできませんよね?したとしても、成年後見人がついてからの遺言など、当然、無効になってしまいますよね?」
(回答)
「当然に無効」にはなりません。成年後見人がついている方でも、事理弁識能力、すなわちその行為が自己にとって利益であるか不利益であるか、どのような法的効果をもたらすか理解する能力が一時的に回復した場合は、医師2人以上の立ち会いで遺言が認められているのです(民法973条)。この時、医師は、遺言者が遺言時に事理弁識能力を欠く状態にはなかった旨を遺言書に付記して、署名押印しなければなりません。
この方式をきちんと守っていれば、少なくとも方式としては有効な遺言であり、「当然に無効」ということはないのですす。
なお、この条文は1999年(平成11年)の民法改正によって修正された条文です。
8 最後に
遺言を巡る法律、法的論争、また、実務での裁判例等は多数あり、全てをご紹介するのは難しいので、本日は、比較的身近な話題をとりあげました。
自分が亡くなった後、相続人間で争いが起きることを望む人はいないと思います。自分の思いをきちんと残された人に伝え、かつ、円滑に相続手続きを進められるよう、遺言作成を検討される場合は、まずは弁護士にご相談ください。
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