弁護士の事件簿・コラム
忘れられる権利
弁護士 野呂 芳子
1 「忘れられる権利」とは?
「忘れられる権利」という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか?
これは、簡単にいうと、主として犯罪歴など、本人にとって不利益な過去の情報について、Googleなどの検索結果に表示されないようにしてもらおうという権利です。
インターネットの発達に伴い、日本を含め世界各地で提唱されるようになってきた「権利」で、ヨーロッパでは2016年に明文化されましたが、日本では、明文での定めはありません。
2 なぜ「忘れられる権利」が唱えられるようになったのか
インターネットでは、ひとたび情報が流れると、いつまでも流れ続けます。
そうすると、例えば、軽微な事件を起こし、反省して罪を償って更生したとしても、就職、結婚等の時、ネット検索されて過去を知られてしまい、採用見送り、破談になるということもありえるでしょう。また、ネット検索により、親の遠い昔の犯罪歴を知ってしまい、子供が苦悩する、ということもありえます。
こうした不利益を無くすために、「犯罪から数年以上経過したら、検索結果に表示されないようにしてもらう権利が認められるべきではないか。」と言われるようになったのです。
3 日本の裁判例
⑴ 事案
日本でも、「忘れられる権利」について裁判で争われた有名な事案があります。
これは、児童売春・ポルノ禁止法違反罪によって平成23年11月に逮捕され、同年12月に50万円の罰金刑を受けた男性が、3年以上経過しても、まだ実名と住所で検索すると、犯罪に関する記事が表示されるため、「人格権の侵害である。」として、検索結果の削除を求めた事案です(「表示されないようにしてもらう権利」は、一旦表示されてしまった後は、「削除を求める権利」として実現されることになります)。
この事案は、さいたま地裁、東京高裁、最高裁まで争いが続きました。
⑵ さいたま地裁平成27年6月25日決定(仮処分申立審)
さいたま地裁は、「逮捕歴に関する(中略)表示により、更生を妨げられない利益が受忍限度を超えて侵害される」「検索結果が今後表示し続けられることにより回復困難な著しい損害を被るおそれがある」として、検索結果の削除を命じる仮処分決定を下しました。
これに対し、Googleが異議申立をしました。
⑶ さいたま地裁平成27年12月22日決定(異議申立審)
さいたま地裁は、「犯罪が行われたときからある程度の期間が経過すると、過去の犯罪事実について社会から忘れられる権利がある」とし、(1)のさいたま地裁平成27年6月25日決定を認める決定を下しました。
この決定に対し、Googleが不服申立て(抗告)しました。
⑷ 東京高裁平成28年7月12日決定(抗告審)
東京高裁は、「忘れられる権利」については、「法律上明文の根拠がなく、要件及び効果が明らかではない。」として、独自に検討する必要性なしとしました。男性の削除請求については、本件犯行は、社会的関心の高い行為であり、特に女子の児童を養育する親にとって重大な関心事であること、罰金を納付してから5年以内であること等から、「本件犯行は、いまだ公共の利害に関する事項である」と指摘し、さいたま地裁の決定を取り消し、男性の申立を却下しました。
この決定に対し、男性が、不服申立て(許可抗告)しました。
⑸ 最高裁平成29年1月31日決定(許可抗告審)
最高裁は、「忘れられる権利」については言及しなかった一方、Googleなどの検索結果からの削除については、
①プライバシーに属する事実の性質及び内容
②情報が提供されることによって、その者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度
③その者の社会的地位や影響力
④プライバシーに属する事実を含む記事等の目的や意義
⑤上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化
⑥上記記事等にプライバシーに属する事実を記載する必要性
など、事実を公表されない法的利益と、情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情等を比較衡量して、その結果、事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対して、情報を検索結果から削除することを求めることができるとしたのです。
そして、この男性の逮捕事実については、児童売春が社会的に強い非難の対象であること等から、今なお公共の利害に関する事項であると指摘し、削除請求を認めませんでした。
4 「忘れられる権利」の問題点
きちんと罪を償ってもネットにいつまでも載り続けるのでは、人が更生し、人生を再出発する機会を奪われることになりかねません。ですから、「忘れられる権利」に意義があることは否定できません。
しかし、だからといって、「忘れられる権利」を無条件に認めてよいということにはなりません。この権利は、国民の「知る権利」や、情報発信者の「表現の自由」を制限する性質を持つからです。
結局のところ、「一律に認める、認めない。」という性質のものではなく、最高裁が示したような基準を詳細に検討し、ケースバイケースで判断していくということにならざるをえないでしょう。
今後も類似の訴訟について裁判所の判断が示されていくと思いますので、注目していきたいと思います。
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